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福岡地方裁判所 昭和28年(ワ)1411号 判決

原告 江崎正憲 外三七名

被告 西日本鉄道株式会社

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「被告が原告等に対し昭和二十五年十月二十九日付でなした解雇は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

被告西日本鉄道株式会社(以下被告又は会社と略称する。)は福岡市大名町一番地に本社(本店)を有し、運輸を業としている会社であり、原告等は昭和二十五年十月二十八日まで同会社に従業員(社員)として雇傭され、会社の従業員で組織されている西日本鉄道労働組合(以下労働組合又は組合と略称する。)の組合員であつたところが被告は、昭和二十五年十月同組合に対し「原告等は、現情勢のもとにおいて、私鉄事業の企業防衛の見地より、破壊的言動をなし、或は他の従業員を煽動し、もしくは徒らに事端を繁くする等法の権威を軽視し、業務秩序を紊り、業務の正常な運営を阻害するがごとき非協力者、又は業務の公益性に自覚を欠ぐものであるから已むを得ず整理する。」との解雇理由を提示し、同月二十三日付通告書を以て、各原告に対し、原告等が、同月二十八日午後四時三十分までに退職願を提出して同日付で円満に退職するよう勧告すると共に、若し右期日までに退職願を提出しないときは同月二十九日付を以て解雇する旨通知したが、原告等が任意に退職しなかつたので、被告は昭和二十五年十月二十九日付で原告等を解雇した。しかしながら被告が原告等に対してなした右解雇は、次の理由により無効である。

(一)  まず被告は、原告等を解雇するに当り、組合に対していかにももつともらしい整理基準を提示し、且つ整理者の氏名を発表したが団体交渉における組合の再三、再四の要求にもかかわらず、その基準に該当する具体的事実を提示せず、一方的に原告等を解雇した。このような解雇は被告、組合間の労働協約及び社員人事に関する取扱規約第四条及び第五条に違反し無効である。なお右協約及び取扱規約の有効期間は、当事者間の覚書により、本件解雇当時まで延長されていたものである。

(二)  次に被告が原告等を解雇する際に示した整理基準は、違法な解雇を正常化しようとする単なる詭弁にすぎず、被告の真意は、特定の思想をもつているもの、或は被告が特定の思想をもつているかもしれないと一方的に想像したものを解雇しようとしたものであつて、マッカーサー書簡にもとづく、いわゆるレッド・パージである。このことは団体交渉の際に、会社の社長が「この整理は労働対策ではなく、治安対策である。整理の目的と対象については、ジー、エィチ、キュウ当局より、私鉄経営者協議会の代表者が呼ばれ、一部国民の間に暴力的革命を標榜し、産業の破壊を考えているものがあるが、このようなもの及びその同調者を企業より排除することは、経営者の責務であると述べられたが、これにもとづいて整理するのである。」と発言したことから見ても明かである。よつてこの解雇は、憲法第十四条第一項、第十九条、労働基準法第三条、民法第九十条に違反し、無効である。

(三)  更に被告の原告等に対する解雇は、原告等が解雇当時及びそれ以前においていずれも熱心な組合活動家であつたことを理由としたものであるから、それは憲法第二十八条、労働組合法第七条に違反し、無効である。

よつて前記解雇がいずれも無効であることの確認を求めるものである。

次に被告の答弁に対しては、次のとおり述べた。

被告主張事実のうち、被告主張の日時(但し原告等のうち西憲治、土師嘉年、牟田俊介、香月正義、大久保力については通告所定の期限経過後)に原告等が退職願(その趣旨は否認する。)を提出し、退職金等(いずれもその趣旨は否認する。)を受領したこと及び被告が右各退職願を受理したことは認めるが、その余の事実は否認する。しかして原告等の退職願の提出や退職金等の受領が、任意退職の効力を有せず、又解雇の承認を意味するものでないことは次の理由により明かである。

(一)  まず原告等のうち西憲治、土師嘉年、牟田俊介、香月正義、大久保力の退職願の提出は、いずれも被告指定の提出期限経過後になされたものであり、即ちすでに一方的な解雇後である。従つてこの退職願の提出が任意退職の効力を有しないことは明かである。又解雇はもとより雇傭者の一方的意思表示で成立するものであるから、右提出がこれに対する承認というような効力をもつものでないことも勿論である。よつて右原告等の退職願の提出は、次の(二)と同様、単に生活資金等受領の手段にすぎなかつたものであつて法律上何らの効力も有しない。

(二)  次に原告等の退職願の提出は、真実任意退職の意思でなされたものではなく、又退職金等も原告等がその趣旨で受領したものではなく、当然貰う権利があると確信していた給料の一部として生活資金や闘争資金に充てるため、受領したものにすぎない。もつとも退職願の提出や退職金等の受領の事実もそれが対等者間においてならば任意退職を意味する場合があるかもしれない。しかしながら強大な資本力と権力とを有する経営者が、その日の生活にも困る労働者に対し、断乎として解雇の意思を表明し、「何月何日までに退職金を受取れ、それまでに受取らなければプラス、アルフアをしない。」等と通告をして来た場合、たとえその通告を受けた労働者がそれに応じ退職願を提出し、退職金を受領したとしても、右両者間の不均等な力関係を考慮して判断するならば、その労働者に真実任意退職の意思があつたとは到底解し得ない。しかも本件通告の当時は、アメリカ軍がレッド・パーシを厳命し、資本家陣営はこれを至上命令であるかのごとく宣伝し、且つ日本政府もこれを支持して労働者や労働組合の間にもそれを争い得ないものであるかのごとき雰囲気を作り上げ、更に労働組合も、その内部の右派勢力がその主導権を握るため左派勢力を追放する手段としてこのパージを承認するような社会情勢下であつた。このような情勢下に解雇の通告を受けた原告等が、たとえいかにその解雇を不当なものであると考えても直ちにその効力を訴訟等で争う力や余裕がないのは明白である。そこで原告等は、已むを得ずその効力についての争を、占領終了後の原告等に有利な時期に期し、取敢えずさしせまる生活の危機を打開し、将来の闘争に備えるための資金を獲得する手段として退職願を提出し、退職金等を受領したのである。しかして労働者の利益保護を目的とする労働法的な観点に立てば、右のような不真意表示は、その相手方が内心の真意を知ると否とにかかわらず、これをすべて無効のものと解すべきである。

仮に市民法的な観点に立ち、民法第九十三条がこのような場合にもそのまま適用されるべきであるとしても、被告は、前記のごとき事情のもとに解雇を強引におしつけようとしたのであるから、原告等の右退職願提出等の真意を知つていたものであり、少くとも知り得べき筈であつたから、右の結論に差異はない。

特に原告等のうち大沢英一、香月正義、高木保肥、土師嘉年、牟田俊介、大久保力、山下広、家中義人の八名は、被告に対し、最初「退職願は提出するが、これは真実に退職する意思を表明するためではなく、これを提出しないと予告手当や離職票が貰えないので、ただそれらを貰う手段として提出するのである。」と自書した退職願を提出しようとしたが、その受理を拒否されたので、已むを得ず、会社所定の退職願用紙に、所要事項を機械的に記入して、それを提出し、且つその際、口頭で右と同趣旨の主張を述べているから、これら原告等の退職願の提出等が真実任意退職の意思でなされたものでないことは一層明かである。

(三)  更に仮に原告等が任意退職の意思で、退職願を提出し、退職金等を受領したとしても、右解除の合意は、その目的が公序良俗に反し、無効のものと云うべきである。即ち被告は、前記のごとき社会情勢のもとにおいて、原告等が窮迫の状態に陥り、訴訟等で争う力や余裕のないことを知りつつ、退職金の好餌によつて退職願の提出を強要し、以つて共産主義者、もしくはその同調者、或は熱心な組合活動家であつた原告等を、会社から排除しようとしたものであるから、その結果成立した合意が、憲法、労働基準法、労働組合法に違反し、民法第九十条に該当する無効の法律行為であることは勿論である。

又仮に右合意が直ちに無効のものでないとしても、それは、被告が原告等の弱みにつけ込み、無理に成立させたものであるから、強迫による合意と云うべく、民法第九十六条により取消し得べきものである。

よつて被告の主張はいずれも失当である。(立証省略)

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

原告等主張事実のうち、被告が原告等主張のごとき会社であり、原告等が昭和二十五年十月二十八日まで被告会社の従業員であり、その労働組合の組合員であつたこと、被告会社が、昭和二十五年十月頃、その従業員のうち「破壊的言動をなし、或は他の従業員を煽動し、もしくは徒らに事端を繁くする等法の権威を軽視し、業務秩序を紊り、業務の円滑なる運営を阻害するがごとき非協力者、又は事業の公共性に自覚を欠く者」を整理することを決定し、原告等に対して原告等主張のごとき同月二十三日付の通告書を発したことは認めるが、原告等はいずれも後記のとおり同月二十八日付で任意退職する旨の書面を被告に提出し被告がこれを受理したので、ここに各原被告間の雇傭関係は合意により解除されたものである。しかして原告等が被告に対して退職願を提出するに至つた経緯は次のとおりである。

被告は昭和二十五年十月頃前記のごとき整理基準の決定をなした後会社の職制や機構を通じて調査した資料にもとづき綿密な検討をなした結果、原告等を含む六十七名のものを被整理該当者と認定し各原告に対して右通告書を発したのである。

一方被告は、原告等所属の労働組合からも右整理についての協力を得るため、同月二十一日以降数回にわたる団体交渉を行い、その席上前記の整理基準及び被整理該当者の氏名を発表し、且つ右整理が企業の防衛及び秩序の維持上已むを得ざるものである旨を説明して、その諒解を求めたところ、組合も結局異議なく右整理を承認するに至つた。

しかして原告等はいずれも前記の退職勧告に応じ、次のとおりそれぞれ退職願を提出すると同時に、退職に関し一切の異議を申立てない旨を確約の上、被告から退職金及び特別退職金を受領しているのみならず更に同月二十八日には西日本鉄道共済組合(以下共済組合と略称する。)からも特別脱退餞別金を受取つている。因に右共済組合は、会社の役員、社員及び日勤嘱託全員をもつて組織され、同共済組合規約により、会社を退職したものは、当然共済組合を脱退すると共に右規約所定の脱退餞別金の贈与を受けることになつているのであるが、被告は、労働組合の要望により任意退職したものに対しては、右脱退餞別金を増額して支給したのである。

(イ)  十月二十三日に退職願を提出すると同時に退職金を受領したもの

岡本邦夫、佐藤勝次

(ロ)  十月二十四日右同

倉田親博、新谷昭、内野邦博

(ハ)  十月二十五日右同

橋本市郎

(ニ)  十月二十六日右同

長谷野勝喜、佐藤元広

(ホ)  十月二十七日右同

吉富勝、博多たづ子、近藤金次、井上角徳

(ヘ)  十月二十八日右同

前記十二名及び後記三名を除く原告等二十三名

(ト)  十月三十日右同

西憲治、土師嘉年、牟田俊介

しかして被告は原告等の右退職願をいずれも受理したので、ここに両者間の各雇傭契約関係は同月二十八日付で終了したのである。

更に各原被告間の雇傭契約の前記合意解除は次に述べるとおり何ら、原告主張のごとき違法、不当、瑕疵はない。

(一)  まず原告等のうち西憲治、土師嘉年、牟田俊介の退職願の提出が所定期限経過後になされたものであることは前記のとおりであるが、しかしながら右三名と被告との間に、その退職願の提出及退職金等の受領の日を十月二十八日付に遡及させ、且つ同日付で雇傭契約が解除されたものとして取扱う旨の合意が成立したのであるから、右三名の原告等による退職願の提出も、その他の原告等の場合と同様、任意退職の効力を有することは勿論である。もし仮に右提出が、そのような効力を有しないとすれば、原告等によるその提出及び退職金等の受領は、解雇の承認を意味すると解すべきであつて、結局原告等は解雇の効力を争い得ないものである。なお原告等のうち香月正義、大久保力の二名の退職願は、いずれも所定期限前に提出されたものであるが、仮にそうでないとしても前記の三名の場合と全く同様に解すべきである。

(二)  次に原告等が、退職願を提出し、退職金を受領する際、真実に退職する意思がなかつたとの原告等の主張事実は認めない。反対に原告等は、真実に退職する意思を有していたものであり、それは次のような事情によつても明かである。即ち本件整理問題につき組合と被告との団体交渉が行われていた当時組合は原告等にも充分相談の上「もし原告等のうち、被告の退職勧告に応ぜず、法廷闘争に訴えるものがあれば、組合は、それらのものに対し、組合員としての資格を保持させてできるだけ協力し、且つ組合財政の許す範囲内で経済的にも援助する。又退職勧告に応じ、任意退職するものに対しては、被告から支払われる退職金、共済組合からの特別脱退餞別金のほかに、労働組合からも餞別金を贈呈する」ことを決定し、原告等もこれを諒承していた。従つて原告等は所定期限内に退職願を提出し、任意退職に応じるか、或は期限内に退職願を提出せず、解雇の効力を争うか、その何れかの途を選択する余地と自由とが与えられていたものである。かかる事情のもとに原告等は、当時の社会情勢その他諸般の事情を考慮の結果、自ら前者の途を選んで退職願を提出し、更に退職に関し一切の異議を申立てない旨を確約の上、退職金を受領したものであるから当時真実に退職する意思を有していたことは疑いがない。

又仮に当時原告等が、真実に退職する意思を有せず、解雇を争うつもりであつたとするも、被告が、その真意を知り、又それを知り得べき事情にあつたとの原告等主張事実は認めない。即ち当時原告等は、何らの異議をも述べず、又その他に被告が原告等の真意を知り得べき事情も存しなかつたのである。従つて原告等がそのような、被告に全く表示されなかつた真意を理由に、その表示行為の効力を否定することは許されない。

なお原告等のうち大沢英一ほか七名のものが、退職願を提出するに際し、被告に異議を申立てたとの右原告等主張事実も認めない。被告は、予め退職金等の交付担当者に対し、退職願の提出や退職金等の受領の際もし異議を申立てるようなものがあれば、そのものには退職金等を絶対に交付せぬよう指令していたのであつて、もし右原告等が何らかの異議を申立てたとすれば、退職金等は交付されなかつた筈である。しかるに前記のとおり右原告等もそれを受領しているのであるから、当時右原告等から何らの異議も申立てられなかつたことは明かである。

(三)  更に前記の合意が、公序良俗に反する目的を有し、又強迫により成立したものであるとの原告等の主張事実も認めない。即ち被告が、原告等に対し、退職を勧告するに至つたのは、原告等が前記のごとき整理基準に該当するものと認定したからであつて、共産主義者、又はその同調者を排除し、或は熱心な組合活動家を整理しようと企図したものではない。又当時原告等が何ら窮迫した事情のもとになく、且つ右合意が被告の強迫により成立したものでないことは、すでに述べたところから明白である。

よつて各原被告間の雇傭関係が存続している旨の原告等の主張は、いずれもその理由がない。(立証省略)

理由

被告会社が、福岡市大名町一番地に本社を有し、運輸を業としている会社であり、原告等が、昭和二十五年十月二十八日まで被告会社に従業員として雇傭され、同会社の従業員で組織して労働組合の組合員であつたこと、被告が同年十月原告等主張のごとき整理基準の決定を発表し、各原告に対して同年十月二十三日付の通告書と題する書面を以て原告等主張のような事実を通知したこと、原告等がいずれも被告に対して被告主張の日に被告主張のごとき退職願と題する書面を提出し、被告主張の退職金特別退職金及び特別脱退餞別金相当の金員を受領していること及び被告が右退職願と題する書面を受理したことは当事者間に争がない。

しかるところ、原告等は、被告より昭和二十五年十月二十九日付で解雇されたが、その解雇は無効である旨主張するのに対し、被告は原告等を解雇したことはなく、各原、被告間の雇傭関係は、いずれも合意により同月二十八日付で解除されたものであると争つている。ところで原告等の本訴請求は、結局各原告と被告間の雇傭関係がなお存続していることの確認を求めるものと解すべきであるからまず被告の主張につき判断する。

前記の当事者間に争のない事実と成立にそれぞれ争のない甲第三、第四号証、乙第四十号証、関係各原、被告間にそれぞれ成立に争のない乙第一号証ないし第三十九号証(但し第十九号証を除く。)の各一ないし三、証人菊竹貞吉の証言(第一回)により成立の真正を認めうる乙第四十一号証、及び証人森島岩雄、同菊竹貞吉(第一、第二回)、同古賀徹、同森等、同糀島義男、同河波虎之助、同花田謙、同佐々木栄の各証言を綜合すれば、次のとおりの事実を認定することができる

被告会社は運輸を業とする会社であつて、国家経済の興隆と国民生活の向上に寄与すべき重要な使命を有していたが昭和二十年頃からその従業員の間に、職場を放棄し、或は信号所を占拠をする等、破壊的言動をなし、経営の合理化を阻害するものがあり、右使命の達成に支障を来していたところ、昭和二十五年秋頃に至り、私鉄経営者協議会において全国的に軌を一にして右のような人たちを排除しようとの話合があつたので、被告会社においてもそれに従い右のような人たちを整理して、業務の秩序を確立しようと考えるに至つた。そこで被告は前記の整理基準を決定し、かねてから会社の内外を通して得ていた調査資料、その頃会社の下部機構に指示して行わせた報告資料、その他一切の資料にもとずき検討した結果、会社の従業員のうち原告等を含む六十七名を右基準に該当するものとして認定した。

しかして被告は、右整理問題を円満に解決すべく、まず労働組合の協力を得るため、同年十月二十一日から二十七日までの間数回にわたり、組合との団体交渉を行い、その席上右整理基準、及びその該当者の氏名を発表し、且つ前記のごとき事情から、企業を防衛し秩序を維持するため、已むを得ず今回の措置に出るに至つた旨を説明して、組合の諒解を求めたそれに対し組合は、最初右整理の根本趣旨には協力するが、組合においても各該当者についての認定の適否を検討するため、その具体的事実を提示するよう要求したが、被告が「今回の整理は、労働対策としてではなく治安対策として行うものであるから、右認定は被告の独自の責任において行うものである。」との理由により、その要求に応じなかつたので組合としては、その内部において慎重討議の末、結局当時の社会情勢等にかんがみ、そのまま右整理を承認せざるを得ないとの結論に達し、その会社に対する交渉方針を変更して、ただ退職金の増額のみを要求することになつた。その間組合は、原告等被整理該当者とも会合し右方針変更についての意見を求め、且つ「組合としては法廷闘争を行わないが、もし原告等のうち、会社の認定を納得せず、個人にて法廷闘争をしようとするものがあれば、組合は、そのものに対し、組合員の資格を保持させ、組合財政の許すかぎり経済的にも援助する。又任意退職するものに対しては組合からも餞別金を交付する。」旨組合の態度を説明したところ、原告等も格別の異議なくこれを諒承した。しかして被告も、組合の右要求に対しては、共済組合からの特別脱退餞別金を増額支給するとの形式で、これに応じた。

一方前記のごとく被告が原告等に対し退職勧告の通告書を発したのであるが、原告等は、いずれもその頃通告書を受領し、当時の社会情勢等を考慮の末結局右勧告に応じて退職することを決意し、それぞれ被告主張のごとく会社に対し、退職願を提出し、被告がこれを受理したのである。

更に原告等は、右提出と同時に前記のとおり被告から退職金及び特別退職金を受領すると共に「退職に関し一切の異議を申立てぬ」旨の記載ある会社所定の受領証を提出し、又同月二十八日付で共済組合から特別脱退餞別金及びその頃労働組合から餞別金を、それぞれ受取つた。又十月三十日に退職願を提出した西憲治ほか二名の原告等は、被告と合意の上、退職願をその提出期限前に提出したものとして取扱い、その提出及び退職金、特別退職金受領の日付をいずれも同月二十八日に遡及させた。よつてここに各原、被告間の雇傭契約は合意により被告のなした条件附解雇の効力の発生前すでに昭和二十五年十月二十八日付で解除されたものと認定するのが相当である。

もつとも西憲治ほか二名の原告等については、その退職願の提出が、その提出期限経過後であるため、それはすでに解雇の効力発生後になされたものであつて合意解除が成立しないとの疑問が生ずるかもしれない。しかしながら一般の法律行為においても、法律に特別の定めなく、又第三者の利益を害しないかぎり、当事者間の合意で、その効力発生の時期を、行為の成立以前に遡及させる取扱いをすることは、何ら支障がないのみならず、特に本件の期限は、被告が、原告等に対し、任意退職の勧告に応ずるか否かの考慮期間を設け、且つ右期限までに退職願を提出すれば、(前記のごとく共済組合からの特別脱退餞別金増額の形式で)退職金を増額支給する等、特別の利益を与えるために定められたものと解すべきであるから、前記三名の原告等につきその退職願提出日を所定期限前に遡及させることは、右原告等に何らの不利益も与えない。しかして被告において右三名が右指定期間経過後に提出した退職願を異議なく受理したことは当事者間に争のないところであるから、右三名についても他の原告等と同様、その雇傭契約は合意により十月二十八日付で解除されたと解するのが相当である。又原告等のうち香月正義、大久保力の二名につき、その退職願が所定期限後になされたものであるとの主張は、その主張に添う同原告等の供述は措信しがたく、他にそれを認めるに足りる証拠がないから、結局これを採用することができないが、仮にその主張どおりであるとしても右西憲治ほか二名の場合と同様の理由で、合意解除が成立したと認定すべきである。

ところで次に原告等は、右雇傭契約解除の合意が、その手続及び内容上の瑕疵により、無効又は取消し得べきものであると主張するので、以下その各点につき判断する。(原告等の主張のうち解雇を前提としたものも合意解除の場合に転換し得るものは、ここに転換させて判断する。)

(一)  まず原告等は、本件整理の手続が、労働協約及び社員人事に関する取扱規約に違反しているから、右合意は無効である旨主張するしかるに成立に争のない甲第一、第二号証、証人菊竹貞吉(第一回)同河波虎之助の各証言によれば、昭和二十一年四月頃、被告と労働組合との間に、従業員の退職等につき特別の手続を規定した労働協約及び社員人事に関する取扱規約が締結され、その後しばらくこれが更新されていたが、本件合意の当時にはすでにいずれも失効し、更にそれに代るべき覚書等による特別の取極もなされていなかつたことが認められるので、右の主張は何ら理由のない失当のものである。なお右各証言によれば、右協約等の失効後、被告と組合との間に、従業員の退職等に関する問題は、これを両者間の団体交渉において処理する旨の申合せのなされていることが認められるが、本件整理の問題は、前に認定したとおり右両者間の団体交渉により処理されたのであるから、その点においても、手続違背は存しない。

(二)  次に原告等は、その退職願の提出が、真実任意退職の意思でなされたものではなく、又退職金等の受領も、ただ生活資金等を獲得するための手段にすぎなかつたものであるから、前記の合意は、不真意表示による無効のものである旨主張している。なるほどすでに認定した事実に証人河波虎之助、同花田謙、同佐々木栄の各証言により認められる事実を綜合すれば、当時は、原告等にとり任意退職の勧告に応ぜず、解雇の効力を争うには必ずしも有利な社会情勢ではなく、原告等が、退職願を提出するに当り、多少なりとも、内心に不満を有していたであろうことはこれを推則するにかたくない。しかしながら当時組合が、原告等に対し「会社の認定に納得せず、法廷闘争をしようとするものには、組合員の資格を保持させ、組合財政の許すかぎり経済的にも援助する。」旨言明していたにもかかわらず、原告等は、いずれもそのような挙に出ずることなく、それぞれ退職願を提出し、退職金等を受領しているのである。又原告等は、その際「退職に関し一切の異議を申立てぬ。」旨の記載ある受領書を提出しており、且つその後本訴提起(その提起の日が昭和二十八年十二月十八日であることは本件記録により明かである。)に至るまで三年余もの間、裁判の申立等は勿論、被告或は組合に対し特別の異議を申立てたことを認めるべき証拠はない。よつてこれらの事実を綜合すれば、原告等は、真実任意退職の意思で退職願を提出し、又退職金等も文字どおり退職金等として受領したものであると、認定するのが相当である。

更に仮に、原告等が、退職願提出の際、内心任意退職の意思を有していなかつたとしても、被告が原告等の真意を知り又はそれを知り、得べかりし事情にあつた場合でなければ、右書面の提出が真意によらざることを理由として前記合意解除の無効を主張することは許されず、このことは労資間の法律行為においても特に例外を認めなければならぬ首肯すべき根拠はない。けだしもしそのような例外を認めるとすれば、相手方の不知に乗じて退職金名義の金員を支払わせ、それにより不当の利益を得るという、詐欺類似の行為を黙認することになると共に、後に至り相手方に表示されざる内心を理由に、すでに安定した事実状態を覆し得るという、取引の安全上、好ましくない結果を導くことにもなるからである。しかして本件においては、被告が、原告に真実退職の意思がなかつたことを知り、又は知り得べかりし事情にあつたと認めるに足る証拠がなく、むしろ被告がそのような疑いを懐かなかつたからこそ、前記のごとく原告等に対し退職金を増額して交付したものと解すべきである。

なお右の点に関し、原告等のうち大沢英一、香月正義、高木保肥、土師嘉年、牟田俊介、大久保力、山下広、家中義人の八名は退職願提出の際、特に異議を述べているから、被告が右原告等の内心の真意を知つていた筈であると主張するが、右原告等(但し山下広を除く。)本人尋問の結果のうち右主張に添う部分は、証人古賀徹、同森等同糀島義男の各証言に照らして直ちに信用しがたく、他にその主張事実を認めるに足りる証拠はない。むしろ右の各証言及び証人菊竹貞吉の証言(第二回)により、会社は退職金等の交付担当者に対し、何らかの異議を述べるものに対しては、絶対に退職金等を交付しないよう指令していたことが認められるところ、前記のとおり右原告等はいずれも退職金等の交付を受けているのであるから、そのような異議は、全然述べられなかつたか或は仮りに一度述べられたとしても、後に撤回されたものと推認するのが相当である。

従つて原告等の以上の主張も採用できない。

(三)  更に原告等は、前記の合意は、被告が、原告等の窮迫状態に乗じ共産主義者もしくはその同調者、或は熱心な組合活動家であつた原告等を、故意に排除する目的で成立させたものであるから、憲法、労働基準法、労働組合法等に違反し、民法第九十条に該当する無効のものであると主張している。しかしながらまず被告が原告等に対してなした退職勧告の目的は、すでに認定したとおり破壊的言動をなし、業務秩序を紊る等の行為のあつたものを整理することにあつたのであるから、それにより成立した合意に何ら違法性又は不当性を認めることができないのは明かである。そこで次に原告等の主張を、右合意の隠れたる実質的動機の違法性又は不当性についての主張であると解しても、被告のなした退職の勧告が、原告等主張のような動機でなされたと認めるに足りる証拠はなく、結局特別の反証なきその動機は、前記の目的と同一であると解するのが相当である、もつとも証人森島岩雄、同菊竹貞吉(第一回)の証言によれば会社が昭和二十四年の暮頃からその従業員につき共産党員及びその同調者の存否の調査をしていたことが認められ、又原告大沢英一、同香月正義、同西憲治、同牟田俊介、同家中義人各本人尋問の結果によれば右原告等が共産党員、又はその同調者であつたことが窺えるけれども、同原告等は全被整理者のうちの一部にすぎず、且つ証人菊竹貞吉(第一回)の証言によれば会社従業員のうちには、共産党員でありながら退職の勧告等を受けなかつたもののあることも認められるのであるからただそのような事実のみを以て前記退職勧告の動機が共産主義者又はその同調者を且つそれだけの理由で、排除するにあつたと認定するのは困難であり、又原告大沢英一本人尋問の結果、及びそれによりそれぞれ成立の真正を認め得る甲第十五号証ないし第二十七号証によれば原告等のうち相当数のものが組合の中央執行委員、中央委員、支部委員、代議員その他の組合役員の経歴を有していたことが窺えるが、しかしながら同原告本人尋問の結果及び証人河波虎之助の証言に照せば右人数は全組合役員数のごく一部にすぎなかつたことが認められ、且つ右のものがただそのような経歴を有するが故に退職を勧告されたと認める証拠もないのであるから、やはりこの一事のみを以て熱心な組合活動家を排除することが、本件退職勧告の動機であつたと解することはできない。よつて以上の事実も前記認定と矛盾するものではない。

又前に認定したとおり、本件合意解除当時の社会情勢が、多少原告に不利であつたとはいえ、原告等は所定期限内に退職願を提出して任意退職をするか、或は右期限内に退職願を提出せずして解雇の効力を争うか、その何れかを選択する自由を有しており、且つ解雇の効力を争う場合には組合の経済的援助をも期待できたのにかかわらず、諸般の事情を考慮の結果、任意退職の途を選んだものであり、更にその間被告において原告等に退職願を提出させるため特別の工作をなしたと認めるべき証拠もないから、右合意が、それを無効とせねば公序良俗に反するような窮迫状態のもとに成立したとは認められない。

従つて原告等の右主張もこれを採用することができない。

更に本件合意が、強迫により成立したものであるとの、原告等の主張も、これを認めるに足る証拠もなく、むしろ前記認定の事実に照らすときその理由がないものと解するのが相当である。

よつて各原、被告間の雇傭契約関係は、すべて当事者間の合意により有効に解除されたものと認められ、右契約関係の現存を主張する原告等の本訴請求はいずれもその理由がないから、結局これを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 鹿島重夫 大江健次郎 奥村長生)

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